ケースその①
とある昼さがり。
子供達を公園の芝生で遊ばせながら、友達とお喋り。
ピクニックにいいかも、と思い私はマカロンを持って行きました。
友達:「そういえば、私の元バンカーの知り合いが◯◯◯◯(老舗マカロン屋)で働き始めて。売り子だったのが恥ずかしいとかで、しばらくの間教えてくれなかったの。別に恥ずかしくないのにね。普通に知ってたら最初から遊びに行ってたのに。」
私:「そうだね、全然恥ずかしくないね。それにどんな会社だって小売店があるなら上層ポジションで入っても、現場の勉強とかでお店にまず配属されるだろうし。それに同じ店員さんでも、マックとかセブンイレブンじゃなくて◯◯◯◯なら別にいいんじゃない?」
友達:「その子はマネジメント研修じゃなくて普通にパートの店員さんだけどね。生活費のためだってよ。えっ でもマックとかセブンイレブンのパートでも別にでもいいじゃん。 」 (ニュアンスとしては、「アナタは職で人を差別するの?」的な。)
ええと。私の中では、30代になって小売のバイトをするのがいいとか悪いのではなく、彼女が元バンカーだという前提があって、かつ香港にいる駐在員もしくはその妻がそういう仕事を選択するという状況が珍しいので、本部レベルのポジションなのかと勝手に想定していた、、というわけで。
そして、私を含めてそういう悪気のない前提のメンタリティの人が駐在員が多いコミュニティだからこそ、本人にとって「人に言いたくない」という心理はわかるな、といったところ。
そうはいっても「元バンカーなら、他にもっと効率のいいお金の稼ぎ方なんていくらでもあるじゃん。」と内心思っていたのも事実。
でもそこをグリグリ突っ込んで、私が人間として品格が欠如している差別主義者だと思われても嫌なので、流しておいた。
帰り道に「でも、そういう前提でしか物事を捉えられていない時点で、私はもしかして人間的に終わってるのかもしれない。」 とちょっと自己嫌悪に陥る。
ケースその②
また別の昼下がり。
友達にベビー用品を譲ってもらうついでにお茶をしました。
彼女は1児の母で、パートで子供の家庭教師をしてる。ついでに自分の子供も一緒に教えるので、一石二鳥。
これぞまさにワークライフバランス。とても満ち足りているように見える。
「でも、Megもすごくバランス良く仕事と育児を両立してるじゃない。」という彼女。
でも、私は仕事をしながら娘の相手をする、のは物理的に無理だから、仕事を多くすればするほど娘とは対面できてないし、娘と時間を過ごせば仕事は進まない。
一日を午前と午後の部で分けることはできるけど。今のところ正直仕事の方が不完全燃焼気味。
「私は求めすぎなんだろうか。 多分外から見たら普通に余裕で順風満帆に暮らしてるように見えるのかもしれないけど。ある意味私も仕事と育児を両立してるんだろうけど。 でも何この渇望感。 もっと足りるを知るべき? とても可愛い娘がいて幸せなのに。私は一体何を悩んでるんだか?」
、、と現状に満足できない自分にまた自己嫌悪。
ケースその③
とあるビジネスミーテイングに参加。(私の本業ではなく、わずかながらに関わる可能性がなきにしもあらずのサイドプロジェクト、、くらいの位置の案件)
この案件、要は億単位の金を外部の会社や個人から調達して、別の会社に投資して、それもまた誰の誰かに経営させて、毎年◯%のリターンを生み出すはずなので、それで関係者に還元して、その利益をまた別のビジネスに投資して、、のような話。
こういう人たちの価値観、世界観を接触してると「なんで私はこういう要領でビジネスを捉えられないんだろうか。そもそも度量がないし、統率力に欠く。器がちっさいんだな。それにしても器ってどうやっら大きくなるの??」と自分の脳みそが嫌になる。
ケースその④
起業家友達2人とディナーをしに行きました。同業者だけれど、私より発想がビッグ。
私が「香港域内のビジネスをするにあたって、いかに外部に頼らずに今の限られたリソースで収益性を最大化するか」というレベルで物事を考えている中、彼らはアジア域内におけるビジネス、外部からの資金調達、有能なスタッフの誘致等ありとあらゆる手段をとっていかに早く会社として成長するか、ということを考えてる。
彼らも、「時間を切り売りするなんて馬鹿げてる。」という価値観があって、彼らは元金融業界出身だけど、「あんな奴隷生活には二度と戻りたくない」と言っている。
そういう人たちと話ししてると「子供産んだからって、こんなにまったりビジネスしてていいのか。業績は安定してるけど、その分爆発的に成長してるわけじゃないわけで、、。 ワークライフバランスとか追求してる場合じゃなくないか?」
などなどと、ここ1週間くらいで180度異なる価値観に触れて、自分一体だれ、、みたいな気分になってる今。
自分と視点が思いっきり違う人達と交流すると、自分の力不足な部分、性格の嫌な部分、まだ割り切れてない部分を直視することになる。心がざわざわして激しく自己嫌悪に陥ったりもする。 でも色々と考えて出た結論がこれ:
どうせ自己嫌悪を感じるんだったら、「今の状態に満足してないとはなんて贅沢者。足りるを知れ、自分。」と思わないといけないパターンよりも「もっとレベルアップしたいのに、もっと出来るのに、不甲斐ない自分!キーッ」となる方が私はいいや、と思うことにした。
器が小さいんだったら経験積んで大きくしたいし、もっと要領よくビジネスを展開できる方法があるなら学習したいし、私の知らない世界で、レバレッジ効かせて頭のいい方法でエレガントにお金をぼろ儲けしてる人達がいるんなら、いつの日かそのお仲間に入れていただきたい。
未だどうやって子育てをちゃんとしながら上記を果たしていくのか不明だけど、、。
今答えが出ないとしても、いつか手探りで見つけれるあろう自分のベストアンサーが出てくる日までに、たくさんの「自分に対するキーッ」を心の中に貯めておいて、この焦燥感をなかったことにはしたくないな、とだけ思っているところ。
Megさんの思考回路や感情に共感する部分 大です! 私は出来るときはアグレッシブに、そうなれない時は足るを知るスタンスで、自分の人生にアサーティブになりたいなぁと常日頃思っています(´∀`)
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そのサジ加減というかバランスが悩みどころなんですよねー、、 こういう記事書いた後も「ああ ここはこのくらいで満足しないといけないとこだ」っていうのと「満足したら進化はそこで止まるではないか!」 のせめぎ合いエブリデイです。笑
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