元々美術館巡りは好きなんですが、ことピカソに関していうと
「なぜ、あのぐちゃぐちゃした絵が素晴らしいのか?」
ということを是非とも解明したい、という動機もありました。
結論からいうと、
やっぱりよくわかりませんでした。
でももしかしたら別途、真理めいたものを2つほど発見できたかもしれない。
その1)
「明らかに上手」と「天才的すぎて不可解」の境界線について。
とても驚いたのは、ピカソの初期の作品は素人目に見ても圧倒的に上手だ、、ということ。
例えば彼が14歳のときに書いたという父親のポートレイトや、コンクールに出品した作品。
誰がどう見ても上手い。
http://www.wikiart.org/en/pablo-picasso/
で、徐々に彼の知名度が上がりキャリアが進んで行くにつれて良さがわかりにくくなってくる。
例えば、このあたりの作品。
http://www.wikiart.org/en/pablo-picasso/
でも、まさにこの良さのわからなさは、美術だけじゃなくて全ての分野に関していえることかもな、と思ったり。
例えば。
もののクオリティーやそれに比例する値段って、ピラミッドの底辺の差異だとものすごくわかりやすい。
レストランのランチを比べると、~500円レベル(牛丼)と1000円レベル(定食)と2000円(ちょっといいコースメニュー)レベルのものは全然内容も味も違うけれど、3万と4万のものの差って「どっちも美味しいね」で片付けけられそう。
そしてモレキュラー•ガストロノミーレベルになると一般人には
「もはや美味しいのかどうなのかわからない、、」
と思えてくるものも多し。
でもその道の分野に携わっている人にはやっぱり差は明らかで、ピラミッド上位ランクだとその差は一見分かりにくいけれど、歴然としたギャップがあり。
そして上に行けば行くほど、ほんの少しの差を埋めるのが難しい。
オリンピックメダル受賞者 の1位と2位の差はわずかだけれど、その差は埋めるのは11位と10位を埋めるのよりよっぽど厳しい。
私は芸術に関してもグルメに関しても(そしてスポーツに関しても)素人なので、ある一定レベルを超えると「、、わからん」となりますが、
でも経験値と知識を増やしていくことによって、その差異を少しでも理解できるようになったら、人生がより豊かになるんじゃないかなと思いました。
その2)
「これ自分でも描けそう」って思っても、実際描けないだろうし、描き続けられないだろうし、そしてそもそも描くという発想が思いつけない。
例えば「落書きっぽい」ピカソの絵を見て素人の私が描いたとしても、知識も経験も技法も心得てないので、それはあくまでも「ピカソのまねをして描いた落書き」です。
仮にものすごく酷似しているレベルのものを見よう見まねで作成したとしても、それはコピーでホンモノではなく。
そしてなにかの奇跡が起こって、 例えば彼のキュビズム画法をマスターできたところで、それも多分あまり意味がない。
ピカソはそういう発想が存在しない時代に、道と技を開拓してきたから偉大なので、後から来た人が追随するのとはわけが違う。
更に、生涯作成したという作品の数が膨大すぎる。
91年の生涯の中で油絵、版画 、挿絵 、彫刻・陶器等の様々な媒体で創作したのはなんと合計147,800点程。
単純計算で0歳から描き始めたとしても、一日4.7作品、、?!
もはやそういう次元で何かを継続できるという事実だけで圧倒的に凄すぎる。
「継続は力なり」とはいうけれど、この数だともはやそんなロジックや精神論でピカソは創作していないはず。
「息するのと創作するのは同レベル」くらいの天才なのでしょう。
http://www.wikiart.org/en/pablo-picasso/crying-woman-1937-1
嗚呼、、奥が深いピカソ。
「落書きアート」の素晴らしさの本質は結局よく理解できなかったけれど、「私が理解できないくらい素晴らしいんだ」ということは理解できました。