悪阻ライフのその後→
妊婦の過半数が経験する自然現象だ、、、ということは理解していても、
実際厳しいですね、二日酔いの症状がノンストップで3ヶ月前後続くのは。
(酷い人の場合だと、出産までずっと体調不良とか、病院送りで寝たきりで点滴打たないといけいない生活、とも聞くので私レベルでピーピー言っててはいけない、、とも自分に言い聞かせるけど。
実際の体の辛さはそういう事実と関係ないところにある。)
ここ幾ヶ月か、この私的非常事態の中で悶々し、今まで考えた事もなかった様々なことに思考がめぐりました。
子連れの女性が街を歩いていると
「ああ アナタも悪阻の生存者なのねえ、、」
と思うし。
複数人子供がいると、
「うっそ、人数分あの悪阻を経験したの?!」
とか思ってそれだけで見知らぬ女性が勇者に見えてきたり。
(逆にノー悪阻でそんなに産めてたとしたら、どんだけ前世の行いが良かったのだろう。)
私は自分の会社なので、体調に応じて仕事の時間とか量を調整できるけれど(オフィスは家から徒歩8分だけれど、それでも厳しいと在宅も可だし。究極的には休んでも自己責任。)
一体世の中の会社勤めの女性はどうやってこの期間をやり過ごしているんだろうか??
と疑問と敬意でいっぱいになり、
同時に
「子供をいずれか生むつもりの女性がこうやって、妊娠•出産でタイムロスは発生ことはあらかじめ想定できるから、雇用する側が同じ能力だったら、男性を優先的に採用したがる心理もわかるなあ、、」
と経営者目線になったり
「でも、じゃあそんなこと言ったら女性はどうやって社会で生きろと?!
そんな発想自体が社会の衰退を招くんだわ!」
といち女性&社員目線にもなって、自分のそもそものスタンスに混乱し始めたり。
その他にも、この期間「体が弱い人(&病人)」全般に対する理解とシンパシイを深められたようにも思います。
というのも。 私、実は通常が超健康優良児で。
適度な運動と食生活管理、そして生活習慣全般にはわりかし自信があり、最後にお医者さんに行った記憶がないくらい。
そんな状態なので、よく体調不良を訴える人の気持ちが全く理解できてなかった、、というのは事実。
態度には出さないけれど、よく病欠する人に対して「なんでそんなに体調を崩すんだろう?」「気合いが足りない?」「自己管理の問題では?」と思っていました。
ほんと今なら、世界中の体の弱い人達に土下座して謝れると思います。
不可抗力な体調不良ってあるんだ、、ということが体感できただけで
もしかしてこの悪阻は神様から私への人生勉強(戒め?)なのかな、とすら思えてくる。
ここから本題ですが、
この当事者か経験者でなければわからない系の苦悩。
夫とやり取りしてて、意外なくらいすれ違いが色々発生して
「仲いい夫婦が、こんなに話し合っても悪阻程度で和解できないんなら、世界平和なんて壮大な人類のビジョンは永遠に実現しないのでは?!」
と最近考えながら暗澹たる気持ちなっています。
夫は、全く悪気はないんだけれど。
彼なりに気を使ってくれているのだと思うのだけれど。
男性として今までそして未来永劫、妊婦という当事者にはなりえないなので、助けてくれようとしている方向性のズレっぷりが印象的です。
悪阻前半>>>
「元気がないんだね、可哀想に。スタミナつくように今日はステーキ•ディナーだよ。」
(、、毎日豆腐と果物を摂取するだけで精一杯の私に、ステーキを食べろと。)
「外の空気を吸ったら元気になるんじゃないかな。明日一緒にハイキング行こうよ!」
(ベッドから起き上がるだけで吐きたいのだけど、、)
「今週はお手伝いさん休みだから、掃除洗濯やっとくよ。」
、、といいつつ早朝に起きて窓全開&音楽大音量でぶっぱなして大声で歌を歌いながら掃除機をガーガーかける。
(気持ちは嬉しいけれど。仕切りのないオープンプランの部屋なので、気が休まらない。 どちらかというと、掃除してない状態の部屋を数日スルーしてくれるほうがありがたかった。)