欲しいのはモノではなく、物語。

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私は物欲はそう強い方ではないと思うのですが、

異様にモノに対する思い入れが強い人間です。

 

雑誌に掲載されるようなバッグとか、最新のiPhoneとかにはさほど興味がないけれど、逆に「自分が勝手に意味を見出したもの」には値段に関係なく結構執着する。

 

 
大きな通訳の仕事が終わったときの爽快感の中で買ったイヤリングとか。

 

 

フィレンツェに旅行に行った時ストリートマーケットで掘り出したバッグとか。

 

 

ふらっと立ち寄っていい時間を過ごしたカフェで売ってた絵葉書とか。

 

 

 

生活必需品以外のものはフィーリング9割で購入して、その時の思い出や体験ひっくるめて自分のモノのしている、という感じ。

 

 

なので。例えば私が旅先で買った冷蔵庫用のマグネットを、後で誰かが購入価格で譲って欲しいと頼まれてもお断りで、私の手元に来て時間が経過するほど自分の中での価値は増している。

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永久的に自分の中の価値が右肩上がりなのではなく、どこかの段階で付加価値は横ばい状態になるけど、同時にそれは高止まりでもある。

 

 

何年経過しても(逆に経過したからこそ)「あの時ああいう状況で買った〇〇だよね」と思いたいから、どうせ買うなら、わりかしモノとして唯一性が高い(量産ではない/流通が限定的)かつ自分のストーリーを託せるものが望ましい。

 

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自分の中の規定が若干細かいんだけど、、これは「モノそのもの」と「買ったシチュエーション」両方の掛け算で自分の中での価値が決まって。

 

別に掃除機や冷蔵庫みたいな家電は意味や思い入れがなくても機能重視で一番利便性のいい場所で買うし、靴下やカーペットにもそんなに物語性は求めない。

 

でも例えばジュエリーボックスとか写真立てとかマグカップ、、みたいなパーソナル区分のものは絶対「好きなもの」であるのは前提でかつ「めっちゃ自分にとってのストーリー性があるもの」でなければならない。

 

モノの実際の値段に関係なく応用できる心理テクで、生活における満足度/コスパは非常に高いのでおすすめなんだけど、、

デメリットがあるとすれば、「必要なときに、すぐその物を調達できない」ということだろうか。

 

 

なんせ「意味ある購買シチュエーション」じゃないといけないから、どんなに必要でも物によってはネットで手軽に買ったりできず「ジュエリーボックスが必要なんだよな…」と思いつつ

「今度家族で欧州旅行に行くから、その時に蚤の市でいいかんじのアンティークと出会えるかも、、」みたいな頻度の低い機会を何ヶ月も待ち続けることになる。

 

(ただ、適当に買ったけれど思い出が後で追随して価値があがる、、という下克上なパターンも多々ある。例えば、香港に住んでる時なんとなく適当に近所で買ったヌードルボウル的なものは、は今や私にとってものすごく思い出深い大事なもの)

 

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さて。このモノに対するアプローチに関して割り切れないジレンマが発生したことについて共有したいと思います。

 

 

 

大阪で香港の荷ほどきをしていて、しばらくご無沙汰だったキッチンのものを開封しながらセンシティブな気分に浸って一つ一つアイテムを取り出していたときのこと。

 

ウォーターサーバーが出てきた。

Screen Shot 2019-11-16 at 12.41.41.png*イメージ図

 

ああ、これは2016年の娘が生まれて初めての冬に、家族揃ってニューヨークにクリスマスの里帰りした時、出先のPottery Barn (ポッタリーバーン)で見つけて一目惚れして買ったウォーターサーバーだ。あの時は素敵なホワイトクリスマスで、娘にとって初めての雪で初めてアメリカのおばあちゃんと対面した時だったなあ、、元気だろうかカレン婆さん。

 

(*アメリカにおけるポッタリーバーンはプチプラめなチェーン店なわけで、それ考えると全然レアでもなんでもなくむしろ大量生産の部類になるけれど。でも私はアジア在住であくまでも「自分にとっては」レアなので、それでok)

 

 

…….というような思いが走馬灯のように駆け巡り。

 

 

 

夫にしんみりしながら「ねえ。覚えてる?これ買ったニューヨークの旅、、」

と話しかけたところ、驚愕の答えが返ってきた。

 

 

 

 

 

「これってさあ、、、ニューヨークで買わなかったよね?」

 

 

 

「えっ !!! そんなことないよ! ほらあのクリスマスの里帰りで、雪が降ってて。〇〇がまだベビーで、、、!」

 

 

 

「うん、もちろんそのことは覚えてるし、ポッタリーバーンも覚えてるよ。

でもさ、あの時買おうと思ったけどガラス製だから、6ヶ月のベビーを連れてただでさえ手がいっぱいなのに香港まで無事に持ち帰りできそうにないってことで断念したじゃん。

で、ニューヨークから帰国したその後すぐ僕が出張でポルトガルに行くことになって。カンファレンスが終わった後週末にワイナリーに行って、そこでNYで見たのとそっくりなウォーターサーバーがあったから売ってもらったんだよ。

その時whatsappの写真で送ってイイねってMegも言ったから買ってきたんだけど。覚えてない?」

 

 

 

ああ そうだ。 そうだった。  確かにそうだ。

 

この子はNY生まれではなくポルトガル生まれで。ポッタリーバーンじゃなくてワイナリーからきたか。

 

じゃあ量産じゃなくてもしかして現地のガラス職人が作ったのかな、、 なかなかいいね、、うん。

 

 

 

 

 

でもね。

 

 

 

 

しかし

 

 

 

 

 

なんてことだ。

 

 

 

 

 

なんたる事態だ。

 

 

 

 

 

 

 

私は物語を重視するあまり、ストーリーそのものを頭の中でねつ造していたらしい。

 

 

ということは何、この給水機、カッコウの卵か何か?

 

これはカッコウの卵としてポルトガルで生まれ、香港>交野市>大阪市まで遥々と海を超えて私の目を欺きつつサバイブしたというのか。

 

 

パーソナルな思い入れどころか。

 

 

もはや、ストーリー上自分とは一切無関係とも言える存在なのでは、、せめてポルトガルのカンファレンスやらに行っていたのが私だったら、、

 

などと錯綜し始めて一瞬このウォーターサーバーが赤の他人に見えてきたんだけど。

 

ここで頑張って、メンタルの仕切り直しをすることにした。

 

 

このウォーターサーバーは、元はと言えば……..

 

 

2016年の娘が生まれて初めての冬に、家族揃ってニューヨークにクリスマスの里帰りした時、出先のポッタリーバーンで見つけて一目惚れしたウォーターサーバーで、その時は素敵なホワイトクリスマスで、娘にとって初めての雪で初めてアメリカのおばあちゃんと対面した時だった。

あいにくロジステクス上の理由で購入に至らなかったけれど、奇跡的にその直後夫がその生まれ変わりとも言える品を数ある諸外国の中の幾千もあるだろうワイナリーもしくはその他小売施設から見つけ出し、香港に丹精込めて持ち帰ったもので、しかもそれは私がその後何年も自分が買ったと思い違いしてるくらいの逸品で、なんと2019年大阪で真実が明らかになったという実に実にユーモアとストーリー性に富んだウォーターサーバーなのだ。こんなに意味深いウォーターサーバーはもはや家宝にすべきだ。うん家宝だ。

 

 

 

 

 

……..ということで満足のいくモノの物語ができたとさ。

 

 

 

(あまりモノに思い入れをしないほうが断然気が楽だ 、、、と思う今日この頃)

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*以前引越し検討の際にたくさん情報提供してくださった皆様、改めて大変ありがとうございました!

お陰様で無事引越しできまして、大阪の北の方に住んでいます。

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