レア度を追求する、お得な人生の追求。

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月初に大阪から香港に帰ってきました。

国境を越える二拠点生活は交通費が結構さかむので、2018年はよく格安航空券(LCC)のお世話になりました。

過去記:子連れLCC(ピーチエア)が超絶オススメな理由。

 

今回たまたまキャセイでお買い得なチケットがあったのでLCCではなくそれにしたんですが。

久々のレガシーキャリアは、それはそれは快適でした。

 

 

 

わー 第二ターミナルまで遠征しなくていい!  (LCCは島流しかってくらい搭乗ゲートが遠い。そしてそのゲート付近に時間を過ごせるお店があまりない)

 

食べ物の持ち込みは堂々としていい!  (LCCは許可してるところもあるけど、自社のを売って稼いでるということもあって原則禁止のところが多い)

 

映画観れる! (LCCはインフライトエンタメを提供していない。)

 

毛布と枕くれる!  (LCCはそもそもそういうものを搭載してるのかどうか..?)

 

機内食あるし飲み物も欲しい時にくれるー!  (LCCは有料な上に味が非常に残念な出来になっている)

 

 

、、とはいうものの、私が喜んでるこれは一応飛行機が提供する伝統的サービスであって、元々自分が慣れ親しんでたものでもある。

 

でも短距離フライトで久しぶりにここまで手厚く対応していただけるとなんか「以前の当たり前」がとっても嬉しい。

 

 

話はちょっと変わって、場所は大阪・交野(カタノ)。

 

二拠点生活を開始してすでに一年以上経過してるにも関わらずあっちに行く度にツボることが多くて。

 

娘を保育園に連れてく通園路に、田んぼがそよいでることとか  (何で田んぼが楽しいのか、というと説明しにくのだけど、例えばイタリアのシチリアを訪れてレモンの木がその辺にぽんぽん沢山生えてたらちょっと興奮しません?  そんな感じです。)

 

 

季節ごとに行くたびに風の匂いが違うとか (今回は秋なので、焚き火で何か焼いてる匂いをよく嗅げてよかった)

 

「火の用心」と言いながらカチカチ何かを叩いて夜巡回する近所の人がいるとか。

 

つるっとしたとかげ(ヤモリというらしい)が窓にひっつくこととか。

 

島でとれたという希少価値が高そうな牛乳がスーパーで普通に売っていることとか (淡路島、という関西にある島。)

 

今住んでる香港とも育ったイギリスとも全然違って、とってもエキサイティングです。

関連記事:帰国子女のプチ田舎移住とジブリの世界。

 

話はまた変わって、場所は香港。

 

私は今日朝ごはんにエッグベネディクトを食べました。

家で作るとちょっと作業工程が多くて面倒なので、外で朝ごはん食べる時はよく注文するお気に入りの一皿。

 

ラッキーなことに自宅が商業区域のど真ん中にあり、家から徒歩圏内に数え切れないくらい飲食店があるため、外食に関してはちょっとスポイルされてる環境ともいえる。

でもそれだけに、エッグベネディクトはお気に入りだけど、今年に入って何回食べたのか覚えていない。

 

 

でも、、ふと考えてみる。

ここに引っ越してきたのは二年前でそれ以前はむしろ香港域内でも不便なカテゴリーに入るであろう場所に住んでいたわけで、近所にカフェなんてない当時の私にとってはエッグベネディクト食べるなんて頻度低めのイベント性が高い行為だったわけで。

2016年以前の私に今月は何回エッグベネディクトを食べたか、と聞いたら絶対正確に答えられたはず。

 

ということは、今はエッグベネディクトを好きな時に食べられる環境にいてハッピーだけど、相対的にいうとありがたみと幸福度は減っているのだと思う。

 

2016年5月以前に食べたエッグベネディクトと2016年5月以降に食べたエッグベネディクトとでは精神的付加価値が違うわけであって、テクニカルなことをいうと2016年5月以降に食べたそれによって得られる幸せは限界効用逓減の法則に基づいて相対的にリターンが悪い食事だと言うことになる。

 

あの頃の私にはもう戻れないのだろうか。

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んで、場所とシチュエーションが異なる上記の事例をまるっと総合的に踏まえると気づくのは

 

「別に、どこで何してたって、定期的に変化さえあればそれなりに全部楽しいんじゃん?」

 

ということ。

 

 

高いものでも安いものでも。

都会でも田舎でも。

日本でも海外でも。

大勢でも一人でも。

大衆的でもラグジュアリーでも。

 

 

愉快さ、というか幸福度数を決めるのは価格ではなくあくまでも主観的な「レア度」。

 

値段が高いほうがレアっぽいので錯覚しがちだけど実際のレアさの基準は本当に人によるはずで。

 

消費者というか人間としてハッピーの元は、いかに人為的のこの「レアさ」と「いつもの心地いい日常」を限界効用曲線がいい感じになってる間にくるくるとサイクルを回すかにかかってる気がする。

 

 

自分がめっちゃ楽しみにして行った旅先は誰かにとっての日常であり故郷なわけだし、

自分が普段家で食べてるような食事や住んでる家は、外の人から見たらちょっとは珍しいものだから、他の家にお呼ばれされると楽しいし思い出深い。

 

そう言う意味では「生まれつき貴族」な人より「貧民街出身で叩き上げた成り上がり」の方が総合的に幸せだと思うし、「苦労を全く知らない人生」より「苦労を知ってる人生」の方が味わい深いものである、はず。

 

 

、、、話がマクロで抽象的になってきたので、改めて超具体的な話に持っててシメめたいと思いますが、

 

ただ自分にとってのレアさを追求したいがためにリストアップした今後の朝ごはんオプション5選がこちら。:

 

①朝マック。 

食べたことがないので気になる。絶賛するほどの美味しさは期待できないような気もするけれど、仮に味が期待値以下でもこの時間帯にファストフード店を訪れて人間観察をするだけで何か社会人として学習することがありそう。

結果はどうあれ、自分にとってこれが珍しい行為だ、という一点において食事以上の意義が期待できる。

 

②生まれたて卵で卵かけご飯。

生卵かけご飯は日本で食べることはあって(海外で生卵を食べる勇気はないけど)毎度なかなか満足のいく体験なのですが、これを凌駕するローエッグ・エクスペリエンスといえば、自分で鶏を飼った上で卵を採取するしかない。

まず、鶏を酒造で飼っていいのかどうか夫に聞くところから、。

 

③香港の北方にある村の飲茶、端記茶楼(でゅんげいちゃーらう)、摘みたてクレソンと共に。

噂には聞いたことがあるし、通好みの香港ガイドブックにも載っている。
でも遠いから行ったことがない。(ググって見たところ自宅から1時間13分)

近所に飲食店の選択肢が多いと食事で遠方に出かけるのが億劫になるんですが、ここはあえて飲茶に対して渇望感を覚えることに意義があると思ってて、遠足は付加価値を追加するための旅、というポジショニングでもいいんじゃなかろうか。

行くのだ、飲茶小旅行に。

 

④ブレクファスト・イン・ベット  

我が故郷イギリスが発祥地と思われるこのブレクファスト・イン・ベット、すなわち「寝床で朝ごはん」。一見オシャレに見えるけど現代の生活様式と住宅事情にそぐわないんだよなあ、と長年思っていた。

ホテルで朝ごはんのルームサービスをとるとそれっぽくなるけど、自宅で展開してみたらちょっと粋狂な試みになるでしょう。

オシャレさと不便さ、どちらが上回るのか検証して見るのも興味深いと思う。

 

⑤朝の通勤ラッシュ時に口にくわえながら家を出るトースト 

漫画の登場人物がよくトーストを口に咥えて出社/登校しているシーンがあります。

私は6年前に起業して以来ラッシュアワーに縁がないので、もし公衆の面前でパンを食しながら公共機関で移動する機会をつくったら、動機はさておきかなり思い出深い一食になることでしょう。きっとその同じパンを普通に家で食べてしまったら記憶に残らないので、なかなかの妙案ではないだろうか。

 

 

このような感じで、人生では各方面においてレアさ(ありがたみ、新鮮さ、ひいては幸福)を追求する活動を続けていきたいと思います。

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