先日、弟が結婚したので一時帰国して式に参列してきました。
同じ釜の飯を食べて育った弟が
機関車トーマスを握りしめていた弟が
ポケモン収集に情熱を捧げていた弟が
結婚。
お嫁さんは花束のように可愛らしい子で、新郎新婦の心こもった演出が散りばめられた披露宴はとても素敵であっという間に過ぎた1日でした。
さて、私が久々にブログを書こうと思ったのは、弟の人生の門出における姉としての湿っぽい心象についてではなく、結婚式の二次会で全米が泣いてスタンディングオベーショングレードの衝撃的なショーを観てしまったので、そのことについて書きしたためたい、、と思った次第。
その感動的なショーとは、
裸踊り。
「日本の結婚式では喜びのあまり、裸になって踊り狂う参列者がいる」
「このネイキッド踊り狂いは特に新郎が体育会の出身である場合顕著である。勤務先が男社会的日系企業だった場合、ウェディングデーに裸夫に遭遇する確率は10000%。」
、、といったざっくりとした事前知識があったのだけれど、現実がまさしくその極みだった。
弟は体育会部活動の出身で、商社勤務。そして彼が日本で結婚式を開催するとなると、
やはり、参加者は裸になるしかない。
(※私は人生の8割が海外でこっち方面の日本の情勢にはかなり疎い、という状況です。)
前方のスクリーンで上映諸注意のテロップが流れ、ワラワラとハッピを着た若い衆がステージに集まったかと思うと、テンション高いBGMと共に
鮮やかに
軽やかに
華麗に
スッポンポンになる妙齢の男衆。
厳密にいうとウチワで肝心な場所は隠している為、シュレディンガーの猫的解釈をすればスッポンポンであるかどうかは証明できないけれども、最大公約数的な意見としてはまぎれもなく正真正銘のスッポンポンではなかろうか。
独特なモーションを繰り返す無数のお尻たちを眺めながら「もしかして、前方の珍しい棒の方も見えてしまうのでは、、?」と気を揉んでたものの、実に絶妙なチラリズムのテクニックを駆使し、ウチワで自分のモノを隠したり隠さなかったり、、
と思わせて他のチームメイツのモノをサッと隠しては広げては舞って回ってわっしょいわっしょい。
イメージ図:
(これの、人数が5倍くらい多い図を想像して見てください。ものすごい迫力ではないですか?)
ああ、こんなにたくさんの裸夫を一度に見る機会が人生にあるとは思わなかった。
しかも、夫と一緒に鑑賞する漢達による漢のための裸踊り、、(と思われる。クジャクのように女性に向けた求愛活動的パフォーマンスではないはずだ)
それより何より、
この裸ショーのセンターステージにいるのが我が弟ではないか…!!
夫と一緒に鑑賞する、マイ・ネイキッド・ブラザー。
なんてことだ。
イメージ図:(同じく、人数x5倍くらいをご想像ください。)
夫も「OH ジーザス、、」的なことをつぶやきながら目が離せない。
元米軍隊員の彼も、シャワー室以外でこんなに大勢の、しかも妖艶に踊るネイキッドメン達を目にするのは初めてに違いない。
夫婦共々こんなシュールリアルな体験に出くわすことは未来永劫ないだろう。
なんてことだ。
それにしても、こういう場では新郎もスッポンポンになるのか,,知らなかったよ。
やっぱりこの喜ばしいハレの日は裸で乱舞したいか。
そうかそうか、、めでたいことだ。
そんなことを悶々ぐるぐる考えてる間に、ショーはあっという間に終わり、弟と仲間の裸夫たちは元の秩序正しい、衣服を着用したジェントルマンに戻って何事もなかったかのようにパーティーに戻り歓談を再開した。
私に今世紀最大の衝撃を残して。
どのような雷震的感情かというと、主に以下の2点。
その①:人間としての敗北感。
さっきまで良識的にスーツを着て歓談していた好青年兼ビジネスマンたちが、あっという間に、颯爽とスッポンポンになる。ここまで潔く己をさらけ出しスッポンのポンで舞を舞える人間に、恐れることなんてこの宇宙にあるだろうか。
きっとない。
クライアントにどやされても、左遷されても、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも。
「自分は人前で裸で踊れるのだ」ということさえ思え出せば、メンタルは無敵じゃないだろうか。
私にはできない芸当だ。
だからよく些細なことで落ち込むのか?
彼らとは精神力の格が違うのだろう。同じホモ・サピエンスとして、生存確率が高いのは絶対彼らの方だ。
完敗だ。彼らは生き物として自分より明らかに高等だ。
その②:日本経済および国家に対して感じる希望。
1 の派生事項として、「ああ、こういうビジネスマンたちによって日本経済は支えられているのだな、この国の未来は明るい!」という確信を得た。
同僚の結婚式の余興で、公衆の面前で自己の羞恥心を封印し裸踊りをできる男衆とは、己が属する共同体すなわち会社組織のために身を粉にして’All for one and one for all’の精神で尽くせる類稀なる即戦力的人材たちではなかろうか。
そんな有能な裸の人材たちはきっと徹夜が3年続いても毎日笑顔で鼻歌交じりに出社し、来週北極転勤の辞令が下ってもキリッとした顔で「アイアイサー」というに違いない。
会社のためにここまで身を呈することができる人間は、有事の際には国家のためにも自己犠牲、そして究極的には死をもを辞さずに行動できる即戦力的国民なのではないだろうか。
だから日本企業では飲み会の宴会芸でも裸踊りをさせるのか。ネイキッド踏み絵もしくは集合体へのコミットを誓うセレモニーのようなもの?
そして、裸になったもの同士にしか得られない、ネイキッド共同体の永久不滅の絆によって維持される確固たる組織、ひいては国家の安定性。
なんて頼もしいんだろう。
素晴らしいパフォーマンスの終演後、参加者の一人に私は聞いてみました。
「こういうの初めて観ました! やっぱりこういったショーは日本だとよくあるものなんですかね?」
すると
「裸踊りは結婚式の余興でよくありますけど、今回のは非っ常にクオリティーの高い裸踊りでしたよ!! 皆さん〇〇さん(弟)にはお世話になってきたから感謝の気持ちを込めてきっと練習頑張ったんですよ!」
とのこと。
感謝のために裸になる。
結婚する友のために、ひと肌脱ぐ。
ハイクオリティーな集団ストリップショウで表現する感謝。
なんという固定観念を打ち破るアナザーレベルな謝恩だろう。
良き仲間に恵まれてよかったね、弟よ。
結婚おめでとう。
貴方達に日本経済は任せた。
わはははは、そこまで考察を掘り下げますか・・・。
そうですね、どうせ裸になるなら、ハイレベルのパフォーマンスでないと成立しません。
恥ずかしがってもいけません。それをやり遂げるには、集団としてレベルが高くないといけないのですよね。いい弟さんをお持ちで羨ましいです。
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笑 夫とそのレベルの高さについてあとで話したんですが、「忙し盛りの商社マンらが、一体どうやってあそこまでレベルのダンスの練習する時間を全員で割けたのか??」という謎が。 「お互いの結婚式の度に踊ってるからルーチンに慣れてる」「社員寮に住んでいる面子なので銭湯でそういうことを皆でしている」という説が有力なんですが実際どうなんでしょうね??
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そこまでの考察、恐れ入ります(笑)
若かりし頃に会社の先輩(女)の結婚式に参列した際に、新郎の友人達の裸踊りを見たことがありますが、完成度も何もない目も当てられないほど酷いもので、新婦側の主賓である会社の上長が苦虫を噛み潰した顔で苦言を呈しておられたのを思い出しました。
完成度の高い裸踊りをご覧になれたのは、非常に幸運だったと思いますよ。
日本各地でふんどし一丁で参加するお祭りがありますし、「己の体一つで」っていうのが日本男児的に特別な場で全力で何かに打ち込むもしくは表現しているですかねぇ。
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そう..!あとでウィキとかで調べたところ正統なリアル裸祭りが各地の神事である、ということを知ってなんて奥が深いんだ、、と感動しました。
一糸まとわぬ姿で生まれた時の姿に戻り神と交信を、、と思うと、結婚式の出し物がものすごく神聖なものに思えてきました。
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