子供の頃、クリスマスは人生の一大事だった。
サンタさんは私の手紙をちゃんと読んでくれただろうか。
リクエストしたおもちゃはお店で見つかっただろうか。(もしくは、小人がちゃんと作ってくれてるのか)
うちは煙突がない家に住んでいるけれど、無事家に入って来れるんだろうか。
思春期になると、両親が出張だったり日本を行ったり来たり弟も日本に住み始め(彼は私と違って6年生から日本に住んでいる)、ちゃんと家族が揃ってクリスマスを過ごせるのかどうか、毎年ハラハラしていた。
自分が大学生になって日本に引っ越してからは、クリスマスの日に家族が揃うのかどうか問題以外にも「こっちでは、クリスマスイブはカップルの日。彼氏は果たして私と同じ温度感でこのイベントに臨んでくれるのだろうか。」ということが毎年家庭内外、ダブルでソワソワもの。
そして彼とプレゼント交換するときに、「どうにか値段と気合の開きがあまりありませんように、、」という気も揉んでいた。何かとハラハラ忙しい季節。
時は流れて2016年。
もういい大人になり、結婚し子供もいる今、クリスマスはハラハラドキドキするような展開や意外性とサプライズに満ちたイベントではなくなっている。
でも逆に毎年、変わらずこの日この季節を一緒に過ごす人達が決まっていて、開催場所の多少の変化はあれど「大体、こんなかんじのあれがあるんだよな、、」という大方予測がつくのがむしろ心地いい。
きっと私はこの先毎年こういうパターンのクリスマスを迎えるんだろうな、これから自分は子供を更に産むか不明だけど、周りの兄弟親戚が頑張ってくれたら家族の頭数は右肩上がりな可能性が濃厚だ、、というざっくりとした見通しつきの幸福。
恒例のストーレン。
イタリア系の家系なのに、なぜドイツ系の菓子パンをクリスマスに食べるようになったのかは不明。(イタリア系はパネトーネがポピュラー。)
由来不明な部分含めて伝統。
みんなで、お店が開けそうなくらいクッキーも死ぬほどたくさん焼いた。
クリスマスツリーのデコレーションは、毎年新しいのを貰ったり買い足したり。
そしてうっかり減ってしまったものも、家族のいちエピソードと共に受け継がれる運命。
私が誤って先祖代々伝わってきたコレクションものを一つ落として壊してしまったので、多分この先「2016年のクリスマスにメグが落っことした陶磁器の鳩、、」とずっと言われ続ける。
ニューヨーク近隣から集まる親戚。
ちびっ子達と会うたびに「大きくなったねえ」と言い、たわいもないことについて語り、近況を報告し合う。
次回会うときはトランプ政権について熱く討論してるのかどうか、、?
そして、今6か月の娘も毎年大きくなって物心がつき、かつての私のようにサンタさんの到来にドキドキする年になるんだろうな、、そしていつかサンタさんについての真相も知ることになるね、、なんて考え。
更に「私、サンタのコスプレなんてヤダし〜。」なんて反抗する年も来るんだろうか?でも今のうちは楽しませて。
クリスマスディナー。 今年は豚の丸焼き。
イベントごとにドキドキハラハラよりも、ほのぼのほんわかしみじみを求めるようになったら、多分大人になった証拠。