私は18歳までイギリス育ちで、母語が英語です。
日本語は家族の公用語で、大幅に足りてなかったところは大学生の時に日本に引っ越してから、何年かかけて習得・キャッチアップしたもの。
今現在は同等くらい、もしくはやや英語が優勢、くらいだと思います。
ライティングに関しては成果物は似たようなレベルだと思うけれど、
日本語の方がアウトプットの速度が遅い、、という肌感覚。
(手書きだと漢字の細かい部分があいまいで、タイプだと文字変換にもたつく。そしていつも誤字が後日発覚する。)
じゃあ、なんでその遅い方の日本語で書いてるのかと、いうことだけど。
それは、英語だったら読まれたら困る人達の方が多いため。
友達だったら嬉しいけど。
読んで欲しくないのはその他大勢の、利害関係のある人々。
会社の社員や取引先
夫の仕事関係の人々
夫サイドの親戚
香港、アメリカ政府
などなど。
ブログは好き勝手なことを垂れ流せるのが醍醐味だと思うんですが、
もし上記のような人達の目に触れるものだったら、
「こないだバーで、マネーロンダリングの談話に加わった」というのはアウトだし、
「倉庫をレノベーションした家に住んでいた」というのも、厳密にいうと香港の法律上はよろしくない。
金融業界の愉快な小話は本人に読まれたらと思うと一切書けないし、
夫が覚醒剤をやっていないことを暴露したら仲間に干される。
そして自分の業務の茶飯事なんかも、仕事関係者が読んでないからこそ吐ける。
そういうバリアー的な意義がひとつ。
他には。
日常生活の9割が英語で回っている中、日本語でブログを書くのは、頭の中の秘密の花園に種をまいて植物育ててるようなものだと思っていて。
リアルの生活から遮断されてる小さな聖域な気がする。
ここ数年、日本語と接触するのは、数少ない日本人の友達とお喋りする時や
和書を娯楽で読む時みたいな、楽しいレジャーの時間に限られているので、
「心のオアシス用の言語」というかんじ。
逆に、もし私が日本に住んで日系企業に勤めだったら、きっとガス抜きに英語でブログってるんだと思う。(でも日本語よりは全然気が抜けないだろうから、匿名かなんかで。)
今日もせっせと庭に水やり、、