前回の続きです。>> 忘れ去りたいようで、忘れたくないあの頃の私。PART 1
一体、学生時代の私の頭の中はどうなっていたのか?
帰国子女ファイル#4 日本でディープな文化体験中
2006年◯月X日
今日は日本文化に親しもうと、母親に落語に連れてってもらった。
実は過去にも一、二回行ったことがあったんだけど、ほんとに言ってることが理解できなくて泣きそうになったので、今回は気合を入れて電子辞書&筆記用具持参で参加した。
学習意欲満々で行ったんだけど、やっぱり理解できない部分多し。古典和文学はとても手ごわい。
とりあえず言ってることが高度なんだ。ボキャブラリーの欠如のせいかな。
「ゼニガタヘイジ」って、道の名前かなんか?
「ヒラヤ」って結局、何屋さん?
「ドドイツ」って、どいつ??誰?
かろうじて理解できてもそれを直感的に「おもしろい」と認識できない。
周りのおじいさん、おばあさんが笑ってる中、私は適当な箇所で周りの空気を読みつつカンで笑ってた。(いやあ何回かタイミングを外したときは気まずかった。)
落語は私には、少々ハードルが高いように思う。
あまり理解できなかったんだけど、いつもとちょっと違う空間に身を置けて楽しかった。
今度はもっと中級レベル位の日本文化にチャレンジしてみようと思う。(お相撲さんレベルくらいかな)
帰国子女ファイル#5 就職活動が難航している。
2007年◯月X日
就活の性格判断テストが、地味に私をてこずらせている。
素直に答えればいいだけのはずだけど、イギリス人と日本人が2人頭の中に住んでいる私は
「このテストは、どっちの私として答えればいいんだろう、、」
という問題に直面する。
経歴的に見ると明らかに「ブリティッシュな私」が母体で、「日本人の私」は来日してから、その上に建て増し(?)された存在。でも建て増しされた部分も一応、建設が終わったら家(本体)の一部じゃん?ということでどっちもホンモノの私、、のはず。
ほんとに今日、某セミナーで「すみません、回答用紙二枚ください。」と、喉から出かかった。
でも、理由を聞かれたときに「私、一人に見えるでしょー。でも実は違うんですよね」
なんてイカれた説明する勇気はないから、とりあえず頑張って自分の中の矛盾と戦いながらマークシートを埋めていく。
でも本当に、私の中の「Meg」(UK)と「めぐ」(Japan)は別人で、回答が180°違う。
例えば:
「自己主張とチームの和、どちらを重視しますか?」
イギリスだったら断然主張するね。でもムラ社会的共同体においては和の方が大切。
「飲み会やパーティーが好きですか?」
パーティーはとても苦手。でもPartyは大好き。
「劣等感が強い方ですか?」
「めぐ」はコンプレックス多いけど、「Meg」は別にない。
「辛いときには我慢してしまう方ですか?」
イギリスの私ならしないけれど、日本にいる私はよく我慢している。
精神分裂性を起こしつつ埋めた回答用紙は、最強的に支離滅裂だったに違いない。
サバサバしているけど情にもろく、すぐ泣くわりには合理的で、チームの和を重要視するのに集団行動が大嫌いで、運動はあまり好きじゃないけどフットワーク軽く外出好き。野心的でキャリアが人生最重要だと思っているけどおっちょこちょいで先のことはあまり具体的に考えない。他人の人生に干渉はしないけど世話好き。自由闊達かつ保守的。
って、一体どんな人間なんだろう。
これ以上怪しい人間にならないために、とりあえず戦略として設問が日本語で書いてある以上、今後はあくまでも日本人の私として回答し、面接でもう一人のMegについて弁解してあげようということに決めた。
こんな混乱が沈静化したのは社会人になってからだと思うけど、身辺整理ついでに掘り出した文章を読み返してみて、あの頃の自分と対話したようで愉快でした。
今週来週はデータ編の断捨離ウィークですが、果たして紙・ノート類を整理する時には一体どんな奇妙なものが発掘されるのか、怖いような楽しみなような。