今日から臨月に突入し、出産へのカウントダウン状態の妊婦です。
今までの30年間の人生では考えつかないような哲学的思想、邪念、インスピレーション、感傷、想念などが浮かんでは消えてった9ヶ月間でした。
最近、度々頭の中でこね回しているのが
この世に溢れている、異性を意識したありとあらゆる商品、サービス、イベント、広告の全ては実は茶番なのでは?
という仮説です。
例えば:
ラブソング、恋愛小説、ラブコメ映画、モテ服、モテ本、赤文字雑誌、合コン、街コン、出会い系サイト、AV産業、香水、ハイヒール、イブニングドレス、ジュエリー、デート、結婚式、化粧品、ランジェリー、整形手術、脱毛施術、小顔マッサージ
等々。
全ては究極的にいうと
生殖行為という生物としての最大かつ唯一のミッションを達成するためのお膳立てでしかないのかも、、?
という仮説です。
人の価値観も各産業が展開するビジネスも、ここ何世紀もの間多様化しているように見えて、実は古今東西変わりなく
こういう経過を経て
結局進展するところまで進展したら待ち受けているのはこれ:
だと考えると、不思議なかんじがしませんか?
例えばミュージックビデオ等でも、薄着した美女達がバックダンサーとしてエロチックな踊りなんかをしますが。
快楽としてのセックスと生殖行為としてのセックスは違う、
と思われるかもしませんが。
それは
と似ていて、人間の本能上優勢なのは後者で、その根本的欲求をレジャーとして進化させたのが前者ではないでしょうか。
関連事項として
最近、人体そのものについても見方が変わってきたんですが。
私の体に思春期以来くっついているオッパイは、今までは単なる装飾品だったけれど、後1ヶ月後には今お腹に住んでいる子の生命維持のためのドリンクバーと化すんだな、、と思うと相当おかしい。 (上記のミュージックビデオの官能的ダンサーが強調しているバストも同じ穴のムジナ)
生物学的にいうと、そもそも元からドリンクバーに昇格するために装飾品を装っていた、ともいえるけれど。
そんなことを考えることすらなかった10何年前からバストを装飾するという発想自体はあったわけで(気に入った下着を選ぶとか、線が綺麗に見える服を着るとか) うまく言えないんですけど、自分が仕掛けたワナに自分が引っかかったような気すらします。
それにしても
一体なぜ、「究極的な目的」とされる生殖より、その過程の方が遥かに華やかで魅惑的なのか?
なんとかしてほしい、、。