先日、年を重ねました。
誕生日ってある意味「パーソナル新年」みたいだなと思ってて。元旦向かえるが如く、自分の人生の棚卸しをしたり、今後の方向性に関して策を講じる機会のように思います。
そんな中、やらないと決めたことが一つあります。
それは「どこかに所属すること」。
正確にいうと「所属したいと思う事」をやめることにしました。
社内に同僚がいなくてもいいし、今後ママ友の集いの仲間入りができなくも、悲観しないことにしました。
以前
「起業家になって以来、義務の忘年会とかがなくなってちょっとさみしいです。どこかに所属してるのっていいですね。」
みたいな話を書いたのですが。
【過去記事】マニラで、会社員時代の思い出に浸ってみた。
今に始まったことでなく「元々自分は所属下手な人間だったね」ということを最近思い出し。
同時に、そのようなことをいちいち気にするような段階(年齢•ライフステージ)にもはやいない、という結論にも達しました。
私の経歴と所属の失敗サマリーは以下の通り>>
ドイツに生まれる。その後18歳までイギリス育ち。
一貫してグループ系のクラブ活動があまり好きでなく、 一人で絵を書いたり本を読んだり文章書いたりするのが好きな子供でした。
友達はちゃんといたけれど、学校では「どこかのグループに入ってる」というより、複数グループの子達と1対1の関係が圧倒的。
平日はイギリスの現地校に通い、土曜日は14歳になるまで日本語を勉強するために補習校に通っていたのですが、 どっちの学校でも「自分はイレギュラーな存在なのかもな」となんとなく意識する日々。(イギリスの学校で日本のルーツを持っているのは私だけだったけれど、逆に補習校ではいわゆる「ホンモノの日本人」じゃないのも自分だけだった。)
18歳の時に日本に引越し、大学入学。
どこか華やかな大学生っぽい場所に所属したく、チアダンス部に入る→
キャピキャピした自分を演出できず、一年で辞める。(今でも、キャピキャピ度が低かった子達とは仲がいい)
比較的帰国子女が多いとされる学校で、帰国子女の仲のいい友達は何人か出来たものの、自分は「帰国子女」というより「来日子女」, むしろ「日系イギリス人」くらいの思考回路だったので、実は帰国子女の母集団には上手く馴染めず。
留学生の子達とはノリが合ったけれど、これもサシ同士の付き合い。
アイセックという国際学生団体サークルに入部。インドにインターンシップしにいったりケベックにフランス語留学しにいったり、個人プレーな活動に精を出していたため、この団体への貢献度は正直なんともいえない。1対1で今でも仲の良い子はいるものの、母集団との密着度合いは一貫して低い。
ゼミは日本語が難儀すぎて心配だったので入らず、またしても所属の機会を逃す。
社会人一年目 、外資系IT企業に営業配属される。上司も先輩もいい人ばかりで ああこういう居場所があって同志がいるってイイネ!と思ったのもつかの間。 あいにく私は売ってる商品(ITソリューション)が全く好きになれず、結果的に1年で離脱。
通訳になるのが夢だったので、 通訳学校に通い始める。
ここでなら同志の友達ができるかなーとちょっと期待していたけど、とても個人主義ムードな学校で。
おまけに「楽して英語喋れるやつ」として一部クラスメイトに敵視される。(私は逆に日本語で苦労したんだ!という声は届かない)
社内で通訳ポジションができ、出会いと運に恵まれ、予定よりフライングで通訳者デビューする。 以後3年間とても幸せに職業人生を送る。
役割的に、部署横断的に人と関われるのが楽しかったけれど、一匹狼的な業務プロセスなので、営業部の時のようにガッツリどこかに所属!というのとは非なるもの。
26歳の時、当日付き合ってた夫に勧誘され香港に引越し。
早々に、他の駐妻達とあまり相性が合わないという発見をする。
↑今思えば、単純に立場の違いだったのかもしれないけれど。当時私はまだ結婚してなくて仕事の見通しも立たないまま香港に来てしまったので、既に「奥さん」という社会的役割がある人に「今度皆さんと一緒にアフタヌーン•ティーでもしましょうよ」と誘われても「いえ、、ワタクシ無職ですので、これから食い扶持を探さないといけないんですよ」というかんじ。
(でも今現在は仕事がある故にそういう会に誘われすらしない、というアイロニー。 日系•欧米系コミュニティ共に。)
香港来て数ヶ月後に起業。→同僚いない。上司いない。ステークホルダーもいない。後に従業員という存在ができる。
たまに業界内で仲良しの起業家友達もできる。 でも我々の特質上、お互い複数人で群れられない。
プライベートでは、マラソンのトレーニングとか、クロスフィットをきっかけにツボが同じ人達と集えないかなーと淡い期待を抱くものの、その都度グループ単位の交流にハマれない自分を感じる。
大学のOBOG会、「香港三田会」のメーリスに登録するものの、回ってくるメールが「早慶ゴルフコンペにご家族でいらっしゃって下さい」的な、 もので、自分みたいな人間は対象外のような印象を受け未だなにも参加できず。
「早慶女子会」というちょっとユルめの会には一度参加したものの、「同じorライバル大学の出身だということ意外に共通項がないのでは」と思い、それきり。
「若手異業種交流会」なるものにも顔を出したけれど、「若手」であること以外に共通項が、、、。
今年に入って香港在住ママ友の集いに何回か顔出ししてみたものの
同時期に出産するという点以外に共通項が、、、と凝りもせず毎度同じパターンの疑問を感じてフェーズアウト中。
、、という現在に至ります。
こうやってずらずら羅列すると、結構な集団(社会?)不適合者ですね、いうかんじですが。
自分の中で最近になって 「所属に失敗し続けてても、それなりに今まで実りある楽しい人生じゃない」ということで折り合いをつけるようになりました。
ないものねだり的な要素もあると思いますが、実はつい最近までの私の脳内の理想パターンは、
小さい頃から同じ地域に住んでいてご近所さんが幼い頃の自分をずっと知っているような環境で、学校ではいつもどこかの仲良しグループに所属してて、誕生日はいつも決まった人達に祝ってもらえて。課外活動でもチーム競技が得意で、大学のサークルも4年継続して活動していたが為に、結婚式にはサークルやゼミ単位、会社の部署単位で招待客を呼べ、忘年会は毎年両手で数える必要があるくらいの要出席の会合があって、会社でもプライベートでも「メグミさんといえば○○キャラだよね」みたいな、役割というかコミュニティーのポジションがあって、大学のOB会はフルに有効活用して転職等に役立て、子供を出産した暁には既にママ友ネットワークという支援システムが確立されてて、将来的な公園に子供を連れて行ったら自分の座るべきベンチの席がちゃんと用意されている的な、
そんな「居場所がたくさんある」ような人生。
でも、31歳のオフィシャル心境としては
もういいです。
という開き直り。
もはや時既に遅し、という気がするし。両親の出身国と自分の育った国が違う時点でそんな運命とも思うし。今後引き続き「所属追求の旅」をする余力がない。
もしなにかどこかに所属する機会が偶発的に訪れればめでたいですが、もう三十路を向かえてる今、学生チックともいえる邪念を抱いている場合でなく。
この際、一生ゴーイング•マイ•ウェイでいいわ、と割り切れてきた今日この頃です。
無所属上等。
※そんな割り切り中に、肩を押してくれた一冊。
はあちゅう監著の「無所属女子の外交術」
去年の秋日本に一時帰国した時に彼女がプレゼントしてくれたのですが、軽めの文体ながらポイントがざくざくっと心に刺さる。
「特に、所属することが美徳、、というか、全うな社会人生活の前提的な日本で、このような本が出版されてるということは時代が変わりつつあるという事だ!」という風に私は解釈しました。
実際ネット見てると、段々集団所属→個人プレー(フリーランス•パラレルキャリア等)が流行になってきているようですし。自分の「所属不能コンプレックス」がもはやトレンディにすら思えてきます。
余白が多めにある本、自分のメモ書きがガンガンできて好き。
10年後に読み返したら楽しいだろうなー。
無所属万歳!
流行語にでもなってくれないかな。