いつの間にか妊娠生活5ヶ月目に突入しているのですが。
毎日、健全な妊婦らしからぬことばかり考えています。
悶々していることを要約すると、このようなこと↓
●ママ友というものができたら、いつも子供の話をしないといけないんだろうか。
そもそも育休らしいものを取らずに仕事を続けるつもりの人に、ママ友なんてできるんだろうか?
●妊婦ワールドはタブーな話が多すぎて疲れる。。
私が普段思いつくような「理路整然とした思想」は子供を世に送り出すっていう、どちらかというと「情緒的な営み」のカテゴリーに入るイベントにはそぐわないようで、周りによくたしなめられる。
これだけ社会が多様化している中で、「全うな考え方」VS「けしからん考え方」に個々人の意見が二分されるテーマも珍しいのでは。
●自分が今、不安になっていることがあるとすれば「子育て」自体のことではなくて
「子育て以外の、今の生活」のことかもしれない。
私も夫も、産まれたらそれなりにしっかり良い人間になるように育てるはず….(という根拠のない自信)と思うけれど。
それ意外の生活の部分を万全に維持•向上させたいんだけど、というのが課題。
子育てを軽く見ている訳ではないけれど「でも、私以前に何億年も前から人類は幾世代も子供を生み育ててきている実績がある」 と思うと、勇気と元気が湧いてくるのは事実。
●自己犠牲は多ければ多い程良い母親!みたいな世論の方向性を感じるんだけど、
それって果たして健全で持続可能なの?
●「会社」と「赤ちゃん」の類似点に関して。
●「子供」と「猫」の類似点に関して。
【過去記事】他人のペットと子供の話はつまらない?
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…..っていうことを、猫を飼い始めたときに思ったのですが。
猫を通じて少しでも「子持ちの人」に前よりは共感を覚えてきたのはいいものの、
「夜帰宅して、猫がドアのところでニャーニャー出迎えてくれて超嬉しいのは、保育園に子供を向かえに行く時の感情と似てるのかもね?」
「貴女は携帯の待ち受けが子供だけど、私は猫だよ。一緒だね?」
「赤ちゃんって、猫と同じくらいの大きさなんだね!」 (ついでに言うと、重さも似たようなものだと思う。)
なんて、
共感が全て猫ベースになってしまうので、それもママ友をつくる前から失ってる原因になっているのかもしれません。
……迷走生活、6月半ばまで続く見込みです。