カンボジアといえば、「内戦」に並んで有名なのが「アンコールワット」。
9世紀から15世紀まで続いたクメール王朝時代に歴代の支配者によって建造されてきた数々の遺跡群の中で、アンコールワットは王朝全盛期の12世紀前後に建造された最も規模の大きい、代表格的なものです。
そのアンコールワット、そして近隣遺跡群を自転車でサイクリングして回ってきました。
さて
この世界遺産でもあるアンコールワット、最高だと大絶賛する人も多くいるのですが。
意外な事に、私の個人的な感動レベルは中くらいでした。
とはいっても非常に見応えのある建造物ですよ。
でも、今までインドのタージマハルや、ローマのコロッセオや、ニューヨークの摩天楼やバリ島の青い海を見て、勝手に目がうるうるしてくるのとは違う次元でした。 (←実は、感動しやすいタイプの人間)
そこで、なぜ自分はアンコールワットでは、通常は名所に行く度に得られる最上級の感動を得られなかったのか?、、ということをあとで分析してみたんですが。
考えたのは、
マーケティングっぽい言い方をすると、コンテンツではなく、コンテキストの問題だ、、という説。
例えば、
新しい恋人と、おうちデート前に行くスーパーの買い物は楽しいかもしれないけれど、同じスーパーに夕飯の買い物に来ている結婚30年目の主婦にとっては、つまらない日常業務かもしれなく。
元旦の山登りは平常心の人には素晴らしい体験かもしれないけれど、就活に失敗した上に恋人にふられた後の人にとっては、身投げしたいくらい絶望感を誘うひと時かもしれない。
感動は対象物ではなく、個人の中にあり、、、という事。
というわけで、感動の構成要素はつまり「5W1H」なのではないかと。
【Where】 「どこ」にいって感動するかは、以下のことに依存?
↓
【Why】 なぜ行くのか(もしくはする•見る)
行動を起こす動機。「集団旅行でみんなが行きたいといっているから」と流されて行った場所は、おそらく感動は薄く、小さい頃からの夢でずっと思い描いていた地はきっと胸が熱くなる。
【What】 なにをしに行くのか
例えば同じパリでも、観光者として訪れると出張としていくのでは、当事者感、ひいては心のインパクトが全く違うはず。
【When】 いつ行くのか
いつの季節とか何曜日?といった外部要素以上に、きっと自分の中のタイミングが大事。人生がマンネリ中なのか、それとも良い転機が訪れている時なのか、それとも精神的にどん底なのか? 心の周波数はこのへんに依存する気が。
【Who】 誰と?
カップルだらけのビーチリゾートに、新婚さんが行くのと独身友達同士でいくのでは、体験そのものが違うはず。
【How】 どうやって?
個人的に、不便な思いをした方が感動が多い気が。
例えば、山登りならロープウェーより徒歩。高級レストランなら、奢ってもらうより自腹。
アンコールワットに関しては、素晴らしい名所であるにもかかわらず、個人的に積年の思いがあったスポットではなく、残念ながら来る前に忙しかったので事前勉強する時間があまり確保できず、そんなに気合いを入れて来なかったので、「中くらい」の感動だったのかな、、と思います。
でも、自転車こいでいった分苦労して疲れたのでその分ポイントUP、といったところでしょうか。
あ 後、観光客が大勢いてかなりやかましいので、それで場所と心のムードが壊れたのも多少あると思います。
→【結論】
旅行に行く際に、感動を人為的に引き起こして盛り上がり、体験を最大化する為には、
行く場所はまず動機付けをして、ありがたみが増すように何ヶ月•年か思いつめておき、
人生において最善のタイミングに乗じて実行に移し、
事前に歴史•その他トリビア等の知識を仕入れておき、
感動を共有できる人(もしくは、少なくとも自分の感動を邪魔しない人)を旅のお供に人選し
現地に観光客が大勢いたときに備えて、高性能の耳栓を持参し
かつ出来る限り苦労して目的地にたどり着くように仕向ければ、
世にも素晴らしい思い出がたくさん旅先でできるのではないかと思います。