昨日の夜、ソファーで漫画を読書していたら夫に
「大人なのにコミック•ブックを読むなんて、変なの」
の様なニュアンスのコメントをされたので、日本のソフト文化について弁論を展開するはめになりました。
私は、漫画の世界のツウとはほど遠いのですが、レジャー・勉強の一環として時折たしなんでおります。(以前は買うとかさばるという理由で遠ざかっていたものの、最近はEリーダーを活用し気に入ったものは大人買い。 )
「勉強」、、というのは、 日本の漫画は非常に多種多様で、中にはためになる内容もすごく多いと思うんですね。
大学生のときは、よく小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」を読んで、政治の勉強をしました。
そして社会人になった際には、 「島耕作シリーズ」にお世話になり、日本のビジネス文化について学びました。
ちなみに
昨日私が読んでいたのはワインをテーマにした「神の雫」という漫画で、主人公と共に、ブドウの品種の特徴について学習していたところです。
「CD」「映画」「小説」「漫画」「雑誌」、、
と色々メディアがありますが、その中で優劣関係はなく、単に表現方法の違いであり、伝えたいテーマによってふさわしい媒体が選ばれている、、という考えなのですが、
とにかく日本の漫画は世界に誇るべき産業であり無形文化財であって、多様なストーリーやテーマは非常に洗練されており、エンタメ性だけでなく教育的価値もある。
そもそも、読んだこともないアメリカ人にいなされる筋はなくってよ、、、!!
というようなことを、まくし立てて論じたところ
「そうなのか。 確かに、アメリカのコミックは主に子供向けで、しかもテーマはヒーロー物(スーパーマン、スパイダーマン、バットマン、、etc)と限定的だな。 日本の漫画ってすごいね。」
と理解してもらうことに成功。
とりあえず一件落着なのですが、
この件で、私はふと自分の幼少期を思い出しました。
(私は18歳までイギリス育ちです。)
私の父親は古いタイプの人間で
「漫画を読むとバカになる」
ということで、読書制限がかけられていました。(もちろん、小説等の活字は自由)
必然的に同じくイギリス在住の、わずかながらにいる日本人の友達に借りてコソコソ読むことになりますが、多分あの時の読書は私にとって非常に重要な日本語の学習効果があったと確信しています。
例えば
「しゃらくせえ!!」
「ぎゃふんと言わせてやる」
「てやんでえ」
なんていう台詞を一握りとってみても
「しゃら、、臭い?」
「ぎゃふんって何だろう。」
「???」
と、教科書にはのっていないような日本語の表現も、絵と合わせて読むと
「ああ、多分脅しの表現なんだな」
「多分なにかの比喩かな」
「なにか、強がっているんだな。」
と、コンテキストに合わせて頭にインプットすることができます。
あと
「~ですわ」
「~ざます」
「~あそばせ」
、、、なんて語尾で会話をしめる人間は(少なくとも私の周りの)現実世界では一人もいなかったけれど(今もいない)、本で読んでいれば、日本の主流社会から隔離された帰国子女の頭の中でも、漫画のキャラクターがそんな台詞をいっていれば
「ふーん。日本人の富裕層、もしくはデフォルメされたお嬢様はこういう話し方をするんだ」
と学習できます。
それよりなにより、教科書を読んでいるだけではわからない「生きた日本語」、「リアルな日本文化」を読み感じることは、帰国子女のアイデンティティー形成に大事な役割を担っている、、と私は思います。
*私は、大学を機に初めて日本に引っ越し住み始めましたが、おそらく小さい頃にもっと自由に漫画を読ませてくれていれば、当時もっとスムーズに馴染めたはずに違いない、、、と密かに思っています。
私のいずれ生まれるであろう子供は、日・米のハーフ、、、ということになりますが、日本の書籍は漫画、雑誌、小説と媒体を問わず好きなだけ買ってあげたいです。
それらを自主的に読み、理解できるくらいの日本語力をつけてくれれば。
そして日本人としてのアイデンティティー構築のひとつの糧にしてくれれば、親としては万々歳であります。
、、、、なんて飛躍して、まだいもしない子供に想いを馳せてみました。