私がパリに以前訪問したのは、高校の修学旅行の時。 (※私は18歳までイギリスで育ちなのですが、現地校ではフランスやドイツはメジャーな修学旅行先です。)
大人になって訪れる今、思春期とはまた違った思考と心の動きを楽しんでいます。
16歳の時、エッフェル塔にきたときは
「大きい! すごい! 頂上は結構寒い!」
位の感想だったと思うのですが、12歳分成長した今では、別の次元で色々感じることが多かったです。
この塔を構築したエッフェル氏を思い、
人間が生きている間に成し得れる偉業のテーマについて考え、
(小さい会社を経営する無名人もいれば、世界遺産となる巨大な建造物をつくる人もいる、、)
いち人間として、そして人類として後世に残せるレガシーについて考え、
(死んだ後に、自分の名前がついたものが時を超えて残るのって、子孫を残すのと同列・それ以上の功績で、マズローのピラミッドでいう、生物として最大級の欲求充足だな、、とか。)
パリの街並みを見下ろしながら、この花の都を作り出した人達の絶え間ない試行錯誤意、日進月歩を目の当たりにし「人類の偉大さ」に感銘を受けました。
(何千万年も前、地上を支配していたのは恐竜だけど、今セーヌ川以外の下に広がっているものは、街並も、美術館も、中に納められている絵も、車も、道路も、全てニンゲンが時間をかけて作り出したものなんだなあ、、、、偉大だ。 なんて、しみじみ。)
ちなみにエッフェル塔は
なんと、当初は期間限定の仮設置予定であったと同時に、(万博博覧会用に建てられ、当初の契約から1909年には解体される予定 )
完成当初、新しい工学技術の産物として高く評価される一方で,伝統を重んじる文化人や芸術家から一斉にバッシングを受けたものすごく評判の悪い塔でした。
当時の感覚としては、あまりに奇抜な外見で、著名な芸術家を始め多くの人は、
「無用にして醜悪」
「バベルの塔」
「 野蛮な塊」
「黒く巨大な工場の煙突のごとく、目が眩むような馬鹿げた塔」
と批判の嵐だったそうです。
でも今となっては、エッフェル塔はパリのシンボルであり世界遺産であり、観光客が世界で一番多く訪れる記念碑でもあります。
それを思うと 本当に「価値観の流転」というテーマについても深々と考えさせられます。
(私たちが今持って、固執している価値観は、いずれ時を経るにつれて無意味化してる可能性が高い、、と思うと些細な悩み事ってふっとびます。)
毎日毎日、年がら年中、大勢の人が色々な思いを持って登りにくるこの塔に、
(私のような思いにふける観光客もいれば、冥土の土産に、、とやってくるお年寄りも、修学旅行中の学生も、後飛び降り自殺志願者も多くやってくるようです。)
きっとエッフェル氏は今頃天国から下界を見下ろしながら、にんまりしていることでしょう。